現代、メルカリやヤフオクといった容易に個人でも売買が可能なツールが登場したことにより、私たちの買い物は以前とは比べ物にならないほど便利に進化しました。
いらなくなったものを売ってお小遣いを稼いだり、時には思わぬ掘り出し物が手に入ったりと我々の生活に無くてはならないものとなっています。
しかし、いつの世も便利なツールは新たな社会問題を引き起こすものです。その一つが本記事で取り上げる「転売ヤー」の存在です。彼らは生活用品から娯楽関連に至るまで多くのモノを品薄状態に追い込み、さらに高額で第三者に売却することで多くの利益を得ています。ただし品薄品薄状態だからといって必ずしも転売ヤーが原因ということではないのでそこは念頭に置いておきましょう。
転売ヤーへの風当たりは現在非常に強いものとなっています。転換期はやはりコロナを利用したマスク転売でしょうか。コレクション、話題性の強いゲーム機や某携帯獣トレーディングカードならまだしも人の命にかかわる領域に手を出したことで一線を越えたというべきでしょうか。
本記事では転売ヤーがなぜこんなにも嫌われるのか、果たして「悪」と呼べるのかについて考察していきたいと思います。なお、ブログ主は経済に精通している訳ではありませんので素人目から見た意見となります。ご了承くださいませ。
転売も小売業も安く仕入れて高く売るという行為をしている点では同じです。売るのにも仕入れるのにも手間やお金もかかるので、高く売るということには何の問題もありません。
この理論はよく、転売行為を正当化する上で使用されます。しかし、本当にそれは正しいのでしょうか。そもそもお金を稼ぐと言うのは、詐欺行為や犯罪は例外として、人や世に価値を提供することです。飲食店でも会社員でも自営業でもそれは変わりません。というわけで、転売と小売業が世の中に提供できるそれぞれの価値について検討していきましょう
小売業は生産者や卸売り業者から買い取り、エンドユーザーに売ることで利益を出す商売です。当然小売業者から商品を買う場合は、より高い金額を消費者は払わなければなりません。
日常生活で登場するこれらの店も全て小売業に分類されます。これらのビジネスは商品そのものの値段こそ(言い方は悪いですが)吊り上げますが、消費者の手の届く場所まで商品を持ってくるという確固たる価値を提供しています。もし小売業が存在しなければ人々は限られた地点へ足を運び、商品を購入しなければなりません。刺身を買うために漁港へ走るのは苦行もいいところです。
さらに企業が行う商売であるため、販売責任が伴います。商品に不具合が生じたら謝罪し、交換や返金を行う必要があるのです。
転売ヤーは小売業とは違い、卸売り業者や生産者から直接商品を仕入れることはしません。小売業からモノを買い上げエンドユーザーに高値で売却します。百害あって一利なしという見方をされることの多い転売ヤーですが、提供する価値は存在します。
それは、お金を多く出せる消費者が確実にその商品を手にすることが出来るという点です。品薄になるレベルの人気商品は抽選や先着順で販売されることが多いため、「金を出してもいい」という人にとってはその競争に参加せずとも手に入れる機会が手に入ったという考え方もできるわけです。
ただし、結果として品薄状態を加速させていることは事実ですし、何か商品にトラブルや不具合があったとしても販売責任は負いませんし、「メーカーに直接問い合わせてください」の一言で終了でしょう。
こうして見比べてみると差は歴然のように思えます。というのも、小売業に対して転売行為はその価値を享受できる人があまりにも限定的です。その上、品薄を加速させ値段も吊り上がるため大多数の「価値を享受しない人々」から反感を買うのです。
前述の通り、取りあえず転売ヤーが叩かれる理由として、「価値の小ささ」をピックアップして見ました。では、例え転売行為でも価値を生み出していればバッシングを受けないのでしょうか。
価値を提供していても叩かれる、そんな転売行為を考えるためには、前提として「価値を提供する転売」をサンプルとして用意する必要があります。一つ例を挙げてみましょう。
一人の男がクレーンゲームで1000円を使い手に入れたフィギュアを2000円で転売したとします。当然彼は卸売り業者や生産者からモノを仕入れることなく1000円の儲けを手にすることになります。
立派な転売行為です。しかし、この行為に関しては前述のスタンダードな転売よりも風当たりは優しくなるでしょう、なぜなら、彼は「1000円でフィギュアを手に入れる技術」を持っていたからです。 人によっては何千円使ってもそのフィギュアは手に入らないかも知れません。クレーンゲームの中から景品を引っ張り出すということ自体に価値が存在するのです。
ここで、1つだけ条件を付け足してみましょう。もしもそのフィギュアをクレーンゲームの中に放り込んだのが彼自身だったとしたらどうでしょうか。そのフィギュアと同じものを見つけ次第片っ端から放り込み、ついにフィギュアはクレーンゲームの中にしか無くなってしまいました。
そうなれば非難は免れないでしょう。確固たる価値を提供しているはずなのになぜかバッシングにさらされるのです。この例えのポイントは、そのフィギュアの入手難易度の高さの大本は、クレーンゲームの上手い彼自身だったということです。
結論として、例え価値を提供していたとしても、その価値が重んじられる要因が自作自演であった場合には世間の批判は避けられないということです。通常の転売は品薄品を大量購入し売り捌くというものです。転売ヤーが購入しなければその分だけ一般ユーザーに行きわたっていた以上は一定の自作自演性が認められます。転売ヤーが叩かれる原因は、提供する価値の小ささだけではなく、その価値すらも自作自演という見方が出来るからなのです。
転売が果たして叩かれるべき行為なのか、このブログ外でも数多くの意見が存在します。どのように結論を持ってくるかは人それぞれでしょうが、中でも散見されるのは転売は安く買って高く売る都合上株と同義なのではないかという主張です。
確かに人気のあるものを安く買い、欲しがる人に高く売る都合上株と同一視する意見があるのも頷けます。経済という視点から見れば何の問題もないという考え方なのでしょうね。しかし、その主張には欠陥があるように思えてなりません。
株と、転売される商品とでは当然ですが大きな違いがあります。そもそも株は売買することを前提としたものであり、その目的も社会を動かす組織である「企業」に資金を提供することにあるため、もはや必要不可欠なモノであると言ってよいでしょう。
対して転売はこの世の中に必須なものなのでしょうか。社会問題として転売が浮上したのはメルカリやヤフオクが普及してからであるため社会に根付いたものではありませんし、存在せずとも何ら変わらない経済活動が行われていました。必須でないからといい悪と断じることはできませんが、少なくとも株と同一視するのは間違っていると言わざるを得ません。
また、儲けを出す難易度も転売と株では段違いです。転売は売れ筋の商品や話題性のあるものを購入すれば専門的な知識のない学生や主婦でも儲けを出すことが出来ます。しかし、株となるとそうはいきません。長期にわたりコツコツと資産運用して利益を重ねるならまだしも短期で儲けを出すのは非常に困難です。よく胡散臭い広告で「株で一瞬で稼ぐ」などと目にするかもしれませんが、株でリスクなく安定して大きな利益を出すのは不可能です。というのも、証券会社の存在がそれを裏付けているのです。分析次第で確実に稼げるなら証券会社自身が大量に取引をして莫大な利益を出していることでしょう。しかし、それをせずに敢えて売買の仲介という立場を選んでいるのですから、それだけ株取引の難易度が高いということです。
利益を出すのに大した知識を必要としないというのも転売の印象が良くない理由なのでしょう。
株と違い転売には在庫がつきものです。無在庫転売という禁断の術があるそうですが今回は省きます。
転売ヤーが抱える商品というのは基本的に実体が存在するのですが、これを在庫として抱えるととある問題が発生します。それは、商品が本来エンドユーザーに与えるはずだった価値が提供できなくなると言うことです。在庫がマスクであれば、ウイルスの流行を抑える機能を果たせなくなり、ゲーム機であれば娯楽を提供すると言う機能を果たせなくなります。
PS5が転売ヤーによって買い占められた結果、一般ユーザーに普及せずソフトが作られなくなったのは記憶に新しいですね。マスクの転売が規制されたのも、商品を機能不全に陥れる性質故です。(あとは価格の吊り上げか)
例え経済の視点で見ると間違っていなくとも、それが全てではないようですね。
今回は以下の視点から転売がバッシングを受ける理由を考察してみました
やはり転売が叩かれるのは様々な要因があるようです。結論としては、生み出す価値に対して不利益の方が大きければ「悪」という見方もできるという着地点になりました。
今後何らかの規制が敷かれるのであれば、生み出す不利益を上回るほどの価値のある転売を生み出し、継続していけるかが今後の転売界隈の課題になるかもしれませんね。
ヒカゲ 20代にして自らのスペックの低さから、職場では窓際一直線系男子。趣味はスキーや旅行、漫画やゲームと多種多様です。物を書くのを苦としない特殊な生態をしており、手紙やメールなどの研究中!